GO FOR KOGEI

facebook instagram twitter youtube

News

2022年12月26日

【アーカイブ公開②】シンポジウム「工芸再考-アート、ポリティックス、ジェンダーの視点から」

「GO FOR KOGEI 2022」開催記念シンポジウム

【第二部 パネルディスカッション】
 工芸再考  −アート、ポリティクス、ジェンダーの視点から− 

菊池裕子さんによる基調講演に続き、第二部は国際的な視野で活動する3名の女性作家をゲストに迎え、パネルディスカッション形式で語り合いました。登壇したのは佐々木類さん(ガラス作家)、スザーン・ロスさん(漆芸家)、牟田陽日さん(陶芸家)、そしてコメンテーター/モデレーターとして菊池裕子さんと秋元雄史さんです。それぞれの立場から、「工芸」を巡る今日的な課題と、これから進むべき方向性について議論を交わします。

「これまで私も多くの場で司会してきましたが、完全に男性が一人でこれだけ女性が多いディスカッションは始めてかもしれません」とモデレーターの秋元さん。ジェンダーをテーマの一つに据えたディスカッションらしい布陣です。まずは3人の作家の自己紹介をかねたプレゼンテーションからスタートしました。

佐々木類さん

<PROFILE>

佐々木類(るい)/1984年高知県生まれ。2006年武蔵野美術大学工芸工業デザイン学科ガラス専攻卒業。2010年ロードアイランドスクールオブデザインガラス科修士課程修了。国内外で精力的に作品発表し、受賞歴多数。コーニングガラス美術館、富山市ガラス美術館、ラトビア国立美術館などに作品が収蔵されている。近年では、「インタラクション:響きあうこころ」(富山市ガラス美術館)、「The Voice of No Mans Land」(恵比寿ガーデンホール)などの企画展に参加。ニューヨークタイムズ紙、Vogue誌、日経新聞「美の十選」で作家特集が掲載。現在は金沢市にて作品制作を行う。

《Liquid Sunshine》2016 ガラス、蓄光ガラス混合物、ソラリウムライト、人感センサー 吹きガラスをトル

佐々木さんはガラスという素材をコンセプチュアルに捉えて活動している作家です。「ガラスは保存や記録に適した素材」として、自分や自分のいる場所、そしてそこにある言語化できないような“懐かしさ”をテーマにしています。植物をガラスに閉じ込めて制作した「植物の記憶」や、光をガラスに溜めた蓄光型の作品など、モノやコトをガラスに閉じ込めて見ている側に何らかの記憶にまつわるイメージを呼び覚ますような作品を制作されています。「 ガラスというのはすごく曖昧な素材。強いけど儚い、二極のものを包括しているというところが、私にとっては適切な素材なんです」と佐々木さんは語ります。

スザーン・ロスさん

スザーンさんは輪島からのオンライン参加でした。

<PROFILE>

スザーン・ロス/ロンドンに生まれたスザーン・ロスは、故郷で開催された江戸時代の美術展を見て、漆の技術を習得することを夢見て1984年に来日。3カ月もあればできるだろうと思っていたことが、結果的にライフワークになる。石川県立輪島漆芸研修所で9年間、人間国宝の先生方の指導を受け、さらに文化庁の奨学生として1年間、漆の技術を学ぶ。輪島にギャラリー兼アトリエを構え、独自のスタイルで作品を発表し続けている。日本全国で定期的に展覧会を開催するほか、海外の展覧会にも参加。また、アーティストとして活動する傍ら、国内外の大学、美術館、公共施設などで幅広く講演を行っている。

スザーンさんは伝統的な輪島塗の技術継承者でありながら、慣例にとらわれない自由な発想で漆の作品づくりに取り組んでいます。下地に使う麻布の代わりにパリで購入したレースを用いてみたり、越前和紙に漆で絵を描いたり、崩れた土壁からヒントを得たりと、異素材とのコラボレーションや、漆を用いた新たなアプローチを日々探求されています。「漆の遊びが、私は本当に大好きです」と笑顔で話します。

 牟田陽日さん

<PROFILE>

牟田陽日/1981年東京都生まれ。2008年ロンドン大学ゴールドスミスカレッジ ファインアート科卒業。2012年石川県立九谷焼技術研修所卒業。現在、石川県能美市にて工房を構える。陶磁器に彩色を施す色絵の技法を主軸に、日常的な食器、茶器などの美術工芸品からアートワークまで多岐に渡り制作。現代の自然に対する意識の在りようをテーマに、動植物、神獣、古典図案等を再構成し色絵磁器に起こしている。日本の美感、工芸、アートの間を相互に交信するような作品制作を目標とする。

《Awakening》2021 磁器、ファブリック H30×W60×D60 c

形づくりも絵付けもすべて自身で行なっています。「日々の中で引っかかったもの」からインスピレーションを得るというその独特な世界観が、緻密な絵付とともに展開されています。「日常的にあるものが“異様”にもなり得る。“うつわ”がもつその面白さに魅せられて」と牟田さん。皿や茶碗などの用途のある物から、近年ではオブジェのようなアート作品まで幅広く制作しています。

越境・トランスは戦略的に?

三者による自己紹介のプレゼンテーションを終え、いよいよパネルディスカッションの始まりです。まずは菊池先生が3人の作家についてどのような印象を抱いているか、ということを皮切りに議論が展開されていきました。

菊池:3人とも「越境」しているところ、違うものと違うものを組み合わせて「何か別のところ」に向かってるところが面白いですよね。まず牟田さんの作品ですが、多重構造というか、ファミリアなものと、アンファミリアなものを組み合わせたりされています。これは戦略的・意図的に仕掛けることで変容していっているのでしょうか?それとも、「素材」が考えさせてくれていることなのでしょうか?

牟田:両方あると思っています。「越境する」というと「新しいことをやりたい」とか「革新的なことをやりたい」という風に聞こえるかれもしれませんが、どちらかというとそういうことではなくて。ロンドン在学中に、どんなこともやりようによればアートになりうるという状況を見てきて「アートは何にでも“宿りうるもの”なんだ」と思ったんです。それがアートワークじゃなくて、例えば日々の皿洗いでも、アートになりうる。「アートを実践する」というのと「アーティストになる」というのは必ずしもイコールではないと感じています。

牟田:そういう考えが私のベースとしてあって、展示会場で体験して消えてしまうというのではなく、「ものとして残る」「近くにあって触れられて、そのまま自分に影響する」ということをやってみたくてセラミック(陶磁器)という媒体を選びました。だから器もつくるし、こういう展開(インスタレーション作品など)もしている。それを「工芸であるか/アートであるか」というのは捉えられないものであってもいいわけだし、見た人・使った人がどう考えるかという一つの「影響を与えるもの」としてつくれたらいいなと思っています。なので、私の作品は“越境している”のであろうけれども、それはロンドンの美術教育から得たものがベースにあって、正直自分の中では違和感がないんです。

加えて「焼物/磁器/色絵」というところから「もの」に振り回されてでてくる自己の創作性質というのも出てきているので、すごく複雑に絡みあってはいるけれども、結局「両方」かなと個人的には思っています。

菊池:スザーンさんは伝統的な漆工芸の継承者、技術の継承者をトレーニングするところにいて、そこから全く違うことをやっているわけですよね。伝統的には使われていない素材をつかってみたり、自分がエンジニアリングして、漆を使ってどうなるかわからない世界にどんどん進んでいる。それは、「伝統技術」という抑えられたものとは反対に行っていますよね。「越境する/何かに挑戦する」ということは戦略的なものなのでしょうか?または、“伝統工芸”という技術の基礎がないと、こういう領域には行きつかないものなのでしょうか?

スザーン:私は人にすごく影響されるし、場所にもすごく影響されます。問題があるときには、問題がヒントを与えてくれます。すごく考えさせられるし、それによってどんどんいろんな道や興味や質問が湧いてくる。だから越前に呼ばれてなかったら、和紙の素材には挑戦していなかったと思います。

ただ、おっしゃるように漆はある程度技術がないとできません。そういった「守らなければならない決まり」はあるけれど、それ以外は本来自由で良いはずです。けれど日本人は「壁を壊すこと」がすごく苦手ですね。私は日本に生まれていないおかげでそういう感覚があまりないんです。漆のバウンダリー(限界)はどこにあるのか、いつも考えています。縛られるほどに反発して、どんどんいろんなことをやってみたいと思うんです。

秋元:スザーンさんは自由に作品を制作されている一方、輪島で伝統的な技法や美しさを学んできているわけですよね。その「伝統的な評価軸」が身についてしまっているところもあると思うのですが、ご自身の中でその辺りの葛藤はありますか?

スザーン:私は両方大事にしています。作品より、“自分の人生”が作品だと思っているので。今の気分でやりたいことも、伝統的な仕事もどちらもやる。どっちかじゃなくて、自分の好きなことをどんどんやればいいと思うんです。ただ、技術がなくなるのは心配なので、やっぱり腕磨きも必要です。大きい限界もある、小さい限界もある。いろいろな冒険をすることが人生の“磨き”になる。

菊池:佐々木さんが用いるガラスは、「土地との関係」をつけにくい素材でもあり、メディアとしては何にも囚われていないものですよね。佐々木さんは「自分が介在して何か記憶をつけていく」というところで、ガラスを自分のものとしておろしてきている印象を受けるのですが、それは越境的な戦略なのでしょうか。ガラスをつかって現代で制作する、ということについてうかがいたいです。

佐々木:私は「技術」で習得したものを、どう「表現」に落とし込んでいくか悩みました。そこでガラスと自分のかかわりについてもっと考えたいと思い、世界中のガラスの大学を調べてロードアイランドの大学院に進みました。

アメリカでは素材についても常にクリティカル・シンキング(論理的思考)をすることが求められました。「私はなぜガラスを使っているのか」を自分に問う、その訓練をしたことが影響を与えていると思っています。人種差別など社会問題が累積しているアメリカでは「ガラスを使っていることに意識的である/戦略的である」ということはそれが「普通」だという環境です。常にクエスチョンを持ちながら制作をしなければいけない雰囲気でした。でも日本に戻って北陸に住みだしてから、テーマが「社会問題」から「自然/環境」などに自分の中でテーマが変わってきて。自分の住む環境が移り、作品のテーマも変化するのは自然の流れなのではないかなと思います。

 ガラスというのはすごく曖昧な素材だと思っていて。強いけど儚い、光を包括するけれど反射もする、二極のものを一つに包括しているというところが、いろいろな事を考える上で私にとって適切な素材であるので使っています。コンセプトと技術習得のバランスを取りながら制作しているので、「戦略」は特になく、自分と素材との純真な関係というのを大切にしています。

工芸界に歴然としてある、ジェンダーの問題

菊池:日本の工芸界の柱にある制度である日本伝統工芸の世界は、男性中心の世界です。1955年以降の人間国宝認定で陶芸技術での保持者は38人で、そのうち女性は0人です。漆芸技術での保持者22人中でも女性は0人。このように伝統工芸の世界では女性が排除されています。このような状況を、みなさんはどう考えますか?

佐々木:アメリカでは教育の場から置き換わってきている印象があります。既に9割近く女性教員になっているところもあるくらいです。世界の教育機関のシステムにおいては、LGBTQなどジェンダーの問題は進んでいるように思います。確かにガラス制作においては「力」などのフィジカルな課題・生物学的に感じる格差はあるにせよ、それ以外ではジェンダーの差は個人的にあまり感じていません。

スザーン:私が初めて輪島に来て「弟子入りしたい」とお願いした時は「女性の弟子は取れない」と言われました。「女性は研ぎ物と磨き物しかできない」と。そして漆芸研修所に入れば学生は女性ばかりでした。先生は男性ばかりでしたが。

ただ、今逆に私が心配しているのは、漆の道に近年男性が入らなくなったことの危険性です。親が「漆では食べていけないから」と言ってやらせないわけですね。かたや女性はというと、結婚で仕事を辞めざるを得ない場合も多く、趣味程度になってしまうことがあります。大事な技術を「趣味レベル」に下げてしまうのは非常に危険です。女性が漆をやり出しているのは嬉しいけれど、同時に男性にもやって欲しいと思っています。

秋元:教える立場の人達に男性が多い、という現状についてはどう思いますか?

スザーン:技術があれば、男も女も関係ないと思っています。ただ、本気でやってほしい。日本人は割と結婚すると仕事を辞めますよね。男性を優先させる。その必要はないのだと、教育から日本の社会を変えないといけません。

菊池:では、どうしたらいいでしょう。人間国宝でいえば漆芸では女性はいないので、そこに女性のモデルが出てこない限り、女性が「プロの世界」に入る道が開けないんじゃないかと思うんですけれど。

スザーン:時間の問題だと思います。35年前は女性には教えないといっていたけれど、現状男性は減っているから、漆は女性の仕事になっています。そのうち日本の人間国宝は女性になると思いますよ。

菊池:是非、生きているうちに見たいです(笑)。

牟田:美大にいても九谷焼研修所でも同じ状況で、女性ばかりです。理由はたった一つで、「経済的に成り立たないから」。九谷焼や伝統工芸がもっと儲かる、家族を悠々と養っていける産業であれば男性はドッと入ってくると思います。けれど彼らはどこかで家族を支えなくてはいけないという賽を負わされている。これは男性のジェンダーの問題です。そして女性は、子供を産んだら圧倒的に育児に時間をつかわなければならない。そこで今まで通りにやっていこうとするのはすごく無理がある。家族のあり方自体を考えていかなければならないと思います。

牟田:ジェンダーに関して言えば、私も伝統工芸である九谷焼をやっているので、すごく保守的な流れの中にいます。九谷焼は元々加賀藩のお膝元でつくられていて、藩士つまり武士が絵付けをしていました。そこには封建制度があって、それが今に引き継がれている。「物を守る」ということは「技法を守る」ということですから、保守的なところがあるのもある意味当然ともいえます。


ある窯元では、「絵付は女性/素地は男性」と分けていて、「絵付の方は3年で卒業」。なぜ男性を絵付で取らないかというと「責任が持てないから」だとおっしゃっていました。全く正直な意見だと思うのですが、それはどういうことだろうと。そういう“経済的自立”というものが欠落した状態で、「女性がたくさん工芸の世界に入ってきて賑やかだ」ともて囃すのはちょっと違うと思うんです。女性がたくさん入れると同時に、男性もやりたいことをできる環境であるべきで。あともう一つ、それは職人に限らず、問屋さんや、流通、窯元の長としての女性も考えなくてはなりません。そういうところでも女性が増えてくることで、ヘルシーな関係性も築けるのではないかと思うんです。 ただ、どうやったら経済的に伝統工芸が活性化するか、というのを考えると中々難しいのですが…。

菊池:とても大きな問題が見えてきましたね。女性がいろいろな人生の段階に応じて仕事ができない制度の問題が、こういう形で現れてきてしまっている。いろんな人の手を借りながら、本来女性は責任を持って仕事をしていけるはずなのに。ここの改革がなされていかなくてはいけません。固定化した“一通りの働き方”のパターンしか認められなくて「そこから外れるからダメだ」というのは、ルール自体がもう間違っているんじゃないかと思います。

秋元:正直、私は作品だけみてるとあんまり変わらないというか、「女性だから/男性だから」という風に意識的には見てないんですよね。今年度の「GO FOR KOGEI 2022」の作家も無意識に選んでいるけれど、男女の比率は大体半々です。ただ一方で、女性が子育てしているときの職場環境みたいなものは、相当やりづらいんだろうなというのは感じました。

牟田:私は今子供を二人育てていて、体感値としては独身時代の3分の1の制作時間になっているけど、2倍稼がなくてはいけないというか(笑)。

でも同時に、「子供を産む」ということが、自分の中でかなり重要なファクターにもなっているのも感じています。元々私は「体感しないと知れない」というタイプなので、出産もその一つで。子供を産むということは「先の世代との直接的なつながり」を感じられるものだから重要だとも思っています。だからこそ「どう両立させていくか」ということを、今考えています。

ーーーーーーーーー

(以上、パネルディスカッションより抜粋) 

議論が白熱する中でも終了時刻が迫ってきたところで、会場からも質疑応答が。「モチベーションや経済面でも、どうやって作家活動を成立させてきたのか」といった作家生活のリアルを問う質問から「文化や宗教など様々なフィルターがある海外で展示する場合、作品をそこにあわせて変えることがあるのか」といった質問なども投げかけられました。

これまでにない、社会的な切り口から語り合う工芸談義。ステージ上はもちろん会場も熱気に包まれていました。質疑応答の様子も収録されたフルバージョンの動画はこちらに上がっているので是非ご覧ください。